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23期 森本真樹さん (在フランス日本大使館 首席領事)

最終更新日:
  • 森本さん


森本真樹さんの経歴

昭和63年(1988) 真和高校卒業 
               慶応大学法学部法律学科卒業
               大学4年在学中に最難関の外交官試験に合格
平成 4年(1992) 外務省入省
平成 5年(1993) 外交官補としてフランス留学
平成 7年(1995) 在コートジボワール日本大使館勤務 三等書記官
平成 9年(1997) 帰国後 経済局政策課配属
              (G8サミットなどの経済外交の総合的な調整を行うところ)
平成14年(2002) 在フランス日本大使館 二等書記官
平成15年(2005) 在エチオピア日本大使館 一等書記官
平成22年(2010) 外務省アフリカ審議官組織アフリカ第二課 課長補佐
平成24年(2012) 在フランス日本大使館 首席領事


外交官を目指したきっかけ

外交官を目指すようになった理由は複数ありますが、それらの根底にあるのは、生まれて初めて外国に住んだときのカルチャーショックだったと思います。中学一年生になると同時に、親の仕事の都合で英国に行き、英語で挨拶もろくにできないまま現地校に突っ込まれました。楽しい思い出も沢山ありましたが、悔しい思い出や嫌な思いをしたことはその倍くらいありました。お互いに異なる背景を背負ったままで意志の疎通を図ることが如何に困難か、またそれを可能にするにはどんな工夫をして、どれだけ努力をしなければならないか。この貴重な体験の中で、子どもながらに色々と考えさせられました。その時に、詩人谷川俊太郎の「朝のリレー」という詩に出会いました。この素晴らしい詩の内容を全身で理解した瞬間に、外交官になることを決めたんだと思います。外交官という職業を知ったのはそれから少し後のことですけど。


高校時代は?

真和高校での高校生活は、人生で最も充実した日々の一つに数えられると思います。これは外交辞令ではありません。先生方をはじめ、いろいろな方々に感謝しています。それなりに真面目に勉強もしたし、適当に手を抜いたこともあったし、また、ガムシャラに遊ぶことも忘れませんでした。どのくらい真面目に勉強したかというと、三年間無遅刻無欠席で、問題集のテキストはクラスで配布された日のうちに徹夜してでも一冊丸ごと仕上げていました。その分、その後は予習がぐんと楽になります。で、どのくらい遊んだかというと、そんな学校生活を思い出して、よくもあれだけ遊びに出掛ける暇と体力があって、学校外にも大勢の友達を作ることができたと、今になって自分に感心しているほどです。


在校生へのメッセージ

我々人間は、過ちを犯します。成功すれば喜び、失敗すれば落胆し、それを繰り返しながら、進歩する生き物です。テストで選択肢を選ぶのも、あるいは小さな政策決定のようなものかもしれません。早晩、人生の岐路で大きな決断を迫られます。政治家や官僚が国家の決断を迫られ、そこに一つの方途を提示するのが政策であるならば、皆さんの進路決定も重大な政策決定でしょう。その時、その場から逃げるという選択肢はありません。限られた時間の中で、可能な限り熟考し、夢と現実を適度に調合しながら大胆に方向性を定めましょう。一旦定めたら、それを信じて突き進んでください。そうすれば、自分の人生を振り返って、その決断が正しかったときっと思う筈ですから。


当時の仕事内容

「日本のアフリカ向けODAを(中略)2012年までに2倍とすることをお約束します。」

 2008年5月28日、横浜の国際会議場において、福田総理大臣(当時)が基調演説でこう述べて、第4回アフリカ開発会議(TICAD)が開幕しました。第1回TICADが東京で開催されたのは、今から15年前の1993年。高校生の皆さんが生まれて間もない頃でしょう。丁度私が外務省に入省して1年が経過したところでした。ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終結したことに伴い、列強諸国は一斉にアフリカから遠ざかっていきました。1960年の「アフリカの年」に大半の国が独立を果たしたアフリカは、石油、ダイヤモンド、ウランなどの地下資源が豊富なことから、冷戦下の東西両陣営の代理戦争の場と化しました。しかし、冷戦が終結し、列強がアフリカに関心を示さなくなると、アフリカには紛争と貧困だけが残りました。日本はアフリカを見捨てない、世界もアフリカに手をさしのべるべきだと言って、アフリカ支援のための国際会議を呼びかけて開催したのがTICADです。この努力は、皆さんが小学生、中学生の間も続けられ、今では、欧米から中国、インドまでが競ってアフリカとの関係強化に取り組んでいます。この会議の準備のため、私は現在の勤務地である東アフリカのエチオピアから横浜に出張していました。そこで、冒頭のスピーチを聴きながら、日本の15年間の努力が結実したことを実感しました。

  私は現在、エチオピアの首都、アジスアベバの日本大使館に勤務しています。アフリカ53ヶ国が加盟するアフリカ連合(AU)の本部が置かれ、世界で3番目に大使館が多い都市です。エチオピアは、古代から王国を築き上げ、アフリカで唯一植民地化されなかった誇り高い国。正にアフリカ外交の中心地と呼ぶに相応しい土地です。エチオピアというと、マラソン選手を思い出す方も多いでしょう(首都は標高2400メートルの高地にあり、毎日の生活が高地トレーニングです)。私は、大使館で政務班長として、エチオピアやソマリアを含む地域の政治情勢について情報収集したり、AUとの協力関係について日本の立場から交渉したりしています。国際会議が毎日のように開催される中、日本政府としての政策を考え、あるいは東京の本省からの指示を受けて、それをどう相手側に伝え、説得するか、短時間で考え、実践することを迫られる状況にあります。

  政策決定の難しさは、限られた時間の中で、いくつもの可能性を集め、その中から一つを選択することにあります。時間があれば、いくらでも良いアイデアが生まれ、じっくり検討することができ、そして、余裕を持って実施することができます。そのいずれの条件も満足に与えられないところに、政策の難しさがあります。重要な何かを捨てて、より重要なものを確保する勇気が必要です。また、世論の批判に晒される危険も常に伴います。政策の評価は、歴史の証明に委ねられます。それが政策の醍醐味でもあります。横浜で開催されたTICADの成功は、15年経って、日本の政策が正しかったことの証明だと考えます。

  TICADが無事終了し、私はアジスアベバに戻ってきました。ホッとする間もなくTICADのフォローアップが始まります。5年間でODAを倍増する約束をした訳ですから、日本の国益に最も沿った形での実施が求められます。また、ソマリア沖、アデン湾海域での海賊行為が横行している昨今、国際社会は軍艦を派遣するなどして対策に乗り出しており、日本政府も自衛隊を派遣して海賊対策に参加します。「アフリカの角(つの)」と呼ばれるこの地域では、常に何かが動いています。


森本さんお勧めの本!

 一つは、ハーバード大学教授で、クリントン政権下で国防次官補を務めたジョセフ・ナイ著の「ダーティ・ハンズ」です。ナイ氏は、近く、駐日米国大使として日本に赴任する予定です。この著作の序章に、私が政策を考える上で最も言いたいことが凝縮されています。

 もう一つは、NYタイムズの記者デイヴィッド・ハルバースタムが書いた「ベスト・アンド・ブライテスト」です。書名の「最良の、最も聡明な人々」とは、ケネディ・ジョンソン政権において安全保障政策を担当した閣僚と大統領補佐官たちのことです。超エリートの彼らがいかにして政策を誤り、米国をベトナム戦争に引きずり込んでいったのかを描いたドキュメンタリーです。


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